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「いろは歌」いろはにほへと

いろは歌(いろはにほへと)

明治時代以前に使われていた「かな」の順を表す歌

五十音が重複されず、一回ずつ使われている
(ヤ行の「イ・エ」、ワ行の「ウ」を除いた47字)

平安時代末期に流行した、七五調を四回繰り返す
「今様(いまよう) 」という歌謡形式でつくられている

全ての文字を1回ずつ使い覚えやすい形にした
手習い歌(てならいうた)というものがあるが、
「いろは歌」も手習い歌のひとつ

いろは歌全文

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ  つねならむ
うゐのおくやま けふこえて
あさきゆめみし ゑひもせす

「ゐ(い) 」「ゑ(え) 」は
わ行「わゐうゑを」のそれぞれ一字

最後に「ん」や「京」をつける場合があるが、
つけないのが正式とされる

「ん」や「京」の由来

「ん」がないことに疑問をもち付け足した

いろはかるたの最後が「京の夢大坂の夢」と
なっていることから「京」を付け足した

など、それぞれに諸説ある

○○のいろは

初めに文字を覚えるときに
「いろは歌」が主に用いられたことから、
「いろは」に物事の基本の意味合いが込められる

このことから、「○○のいろは」などとして
物事の初歩・基本のことを指す言葉として用いられる

いろは歌の解釈

当時の仮名遣いでは清濁の区別をしないが、
濁音になるのが5文字で、
さらに漢字を当てはめたものが以下

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日超えて
浅き夢みじ 酔ひもせず

解釈

色は匂へど散りぬるを
(匂いたつような色の花も散ってしまう)

我が世誰そ常ならむ
(この世で誰が不変でいられるだろうか)

有為の奥山今日超えて
(いま現世を超越して悟りの境地に至り)

浅き夢みじ酔ひもせず
(はかない夢をみたり酔いしれることもない)

仏教の経典

上記の解釈は、仏教の経典の中の
「諸行無常、是生滅法、生滅滅已、寂滅為楽」
といった教えを意訳したもの

【諸行無常】諸行は無常であって
【是正滅法】これは生滅の法である
【生滅滅已】この生滅を超えたところに
【寂滅為楽】真の大楽がある

色は匂へど散りぬるを

【諸行無常】諸行は無常であって
【是正滅法】これは生滅の法である
【生滅滅已】この生滅を超えたところに
【寂滅為楽】真の大楽がある

『諸行無常(しょぎょうむじょう)

香りよく美しい花も、やがては散ってしまう

世の中に、様々なものや現象があるが、
これらはすべて、いずれ変化し消えて
なくなってしまう虚しいものである

我が世誰そ常ならむ

『是生滅法(ぜしょうめっぽう)

この世に生きる私たちも、
いつまでも生き続けられるものではない
(いつかは変貌し、消滅してしまう)

【誰そは反語】
誰がそのままでいられよう
➝いや、誰もそうはいかない

有為の奥山今日越えて

『生滅滅己(しょうめつめつい)

人生の深い山を越えて悟りの境地に至り

【有為(仏教の言葉)】
因縁によって生じる現象・存在、人生そのもの
(いろいろひっくるめた迷い多い人生)

【有為の奥山】
人生・無常の現世を、
どこまでも続く深い山に例えたもの

浅き夢見じ酔ひもせず

『寂滅為楽(じゃくめついらく)

儚い夢を見ることなく、酔いしれることもない

いろは歌の歴史

文献として最初に見られるのは、
1079年成立の「金光明最勝王経音義」とされる
(経典に記される漢字の字義や発音を解説した書)

その中で、仮名の一覧として「いろは歌」がある
(そのほか、五十音図も記されている)

五十音図

音により「あいうえお」の母音に基づき並べた
現在においても主流の五十音の並び

あかさたな はまやらわん
いきしちに ひみ り
うくすつぬ ふむゆる
えけせてね へめ れ
おこそとの ほもよろを

「金光明最勝王経音義」のいろは歌

「金光明最勝王経音義」における、
いろは歌の仮名遣いは以下の通り
(仮名は音に合わせて借にあてた字とされる)

以呂波耳本へ止 (いろはにほへと)
千利奴流乎和加 (ちりぬるをわか)
餘多連曽津祢那 (よたれそつねな)
良牟有為能於久 (らむうゐのおく)
耶万計不己衣天 (やまけふこえて)
阿佐伎喩女美之 (あさきゆめみし)
恵比毛勢須   (ゑひもせす)

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